cafe月見かえるアーカイブ
檜原の森の中での6年間
月見かえるは、東京の西の外れ、檜原の森の中でカフェとして始まりました。
6年間のアーカイブを、映像とショートストーリーにまとめました。
MOVIE
ショートストーリー
「おかえるなさい」
お店の扉を開けると、そう声をかけてくれるのがこのカフェの習いだった。
「ただいま~」
自然と私からこの言葉が口をつく。
緑色の皮膚をした店員がすっとやってきて、庭のそばのテーブルに案内してくれ、私の脱いだ人間スーツを丁寧に受け取り、さりげなく繊維を整え衣紋掛けにかけてくれる。
私はその光景を目の片隅に入れながらゆっくりと腰を下ろし、庭の雨に目を凝らして、しっとりとした空気を全身の皮膚で味わった。
「月見かえるブレンド、おまちどうさまでした。」
そう言ってテーブルに置かれたカップを手に取り一口。ホッ…。
そのままぼーっとした意識で、カップの中のコーヒーの水面に視線を落としていると月がどこからか映り込んでいるのが目に入ってきた。
「あぁそうか、見えていようが見えていまいが、いつもキミ(月)に見守られていたんだなぁ。」
まるでコーヒーの黒い水面がスクリーンにでもなったかのように、そこに映った月の映像は動き出し、早回しのようにどんどん丸くなっていった。
「はぁ、なんだかすっかり忘れていたなぁ…。そうだよね、欠けているように見えるだけ。本体はずっとまあるい玉なんだよね。そして私もまたキミと同じく本体は欠けることのない存在だったなぁと。キミを見ていたらそのことを思い出したよ…。」
店内のラジオから宙(そら)予報が聞こえてくる。
「それでは次に、本日の太陽系第 4惑星、地球の地表面予報です。
同方向に太陽と月が位置し、星の片側への引力が強まります。
地軸の傾きとプレートの沈み込みをかんがみまして、
太平洋の北西に位置する4つのプレートがひしめき合っている龍形の島では
多くの電磁気の放電が予想されます。
地表面への水素の大量放出により、大気内での H2O発生量が局所的に上昇し、
ゲリラ豪雨も各地で発生が予想されています。
また、ほころびの多い人間スーツを着用の皆さんは、
この時期多くの電磁気や放射線が飛び交いますので、
スーツのメンテナンスにはくれぐれもご配慮ください。」
ラジオの言葉が私の耳に入ると、頭というドーム型のスクリーンに、コーヒーカップをのぞき込む私をさらにキミが宙(そら)からのぞき込んでいる俯瞰図が浮かんだ。
独り言のように言葉がこぼれた。
「キミから見れば私はまさに、井の中の蛙だね (笑 )」
雨降る庭に太陽光がスポットライトのように差していた。
その光に誘われるように、用意されてあるサンダルを借りて庭に出て、空を仰ぎ見た。
光が空気中の水を通過しつつ乱反射し、その全体の景色はまるで水面を下から眺めるかのようだった。
その光景に感覚を開きながら時を忘れて立っていた。どれくらいの時間が経ったのだろう、テーブルに戻ると、緑色の皮膚をした店員がやってきて、「私が書いた詩集です。よろしかったらご覧になりませんか。」
そう言って紺色の、布張りがされた手作りの冊子を置いて行った。
頁を繰った。
水中の流れや 泳ぐ魚たちの動きが
水底の石ころの動きに影響するように
宇宙線やその下の大気圏の気流、
そしてさまよう生き物の想いが
人の意志ココロを揺すって
それぞれの人のトンガリを削り
まあるくする。
川底の石が歳月を重ね
どんどんと丸くなるように、
大気圏の底の地上の人々も
意志のぶつかり合いを重ねながら
魂(たま)に近づいて
より光を増していくかのようだ。
天の川の流れを 川底である地上から見上げつつ、
この地上にいるわたしに触れる気流を
五感を動員して 味わい尽くす。
そう この生きて動いている星の表面で
マントルに浮かぶプレートをサーフボードに
波乗りを おぼえていこう。
耳から入ってくる詩の響きに気持ちを傾けながらコーヒーの水面を見つめていると、コーヒーカップのスクリーンは次に、海に沈む月が深く深海へ進みながら緑色の生き物に姿を変えていく様子を映し出した。
その生き物は竜宮の乙姫のように、鯛やヒラメ、もとい古代の生き物たちと舞っていた。
「キミは月から生まれかわって地球の奥深くに引っ越しをした。だから水に触れると懐かしく、元の気に戻れるんだ。」
私もなんだか詩集に影響されて、映像から湧いてきた言葉を詠っていた。
*
レジに立った私に気づいた店員が、店の奥の森に出て行き、しばらくしてから手にスーツを持って戻ってきた。
それを私に丁寧に返しながら、
「お預かりした人間スーツ、だいぶ使い込まれておりました。特に頭部がほつれておりましたので、繕っておきました。全体は、月仕立ての水で仕立て直しさせていただきました。」
と言った。
私はスーツの袖にスッと前足を通しながら、店員の前で瞬く間に人間となった。
「お!気持ちいい。すっかりフィットするようになりました。ありがとうございます。
波乗り、ならぬ地球乗り、いってきます。」
「はい、いってらっしゃいませ。ここももうじき、月の水に溶けていきます。お店で提供させていただいていた人間スーツの仕立て直しも、世界全体に月の水が広がっていくのでどこにいても整えることができることでしょう。もしかするとスーツそのものを着ることもなくなっていくかも知れません。私どもも今後は、水や空気や雲のウェイブに乗って、あちこちに出向いていこうと思っております。またそちらでお会いしましょう。」
どこにいても仕立てられるし、着なくてもいい
この言葉に頼もしさを感じつつ、私はうねる地上へとダイブした。